今日、「北へグリーンライン」という言葉を聞いても東北新幹線を思い浮かべる方はほぼ皆無でしょう。私は社会人となった最初の赴任地が仙台で、その年東北新幹線が大宮から上野に延伸した時ですので、この言葉が今も忘れられません。私は昨年3月まで新幹線高架線路そばにある5階のオフイスに勤務しており、東北・上越新幹線開業40周年記念として、リバイバル塗装されたE2系新幹線車両をほぼ毎日のように目にしており、最初に目の前を通過したときは、本当に興奮しタイムスリップした気分でした。
鉄道フアンの同僚が毎日運行ダイヤを
チェックしていて、今日は会議の時間帯で見れないとか、夜間のみの運行とかいろいろな情報を提供してくれました。当時の私の仕事はテレワーク推進で、外部との会議はもっぱらWeb方式で、その準備の時間や終了後に復活塗装新幹線が通過すると大抵写真を撮っていました。
社会人のスタートが仙台であり、
自身の加齢を認めたくないのか
私にとって東北新幹線は、
今日まで200系のままです。
開業時速達列車の愛称が「やまびこ」で東北特急時代は、地味な存在であったものが、一主役に躍り出るという何とも言えぬ出世物語でしたが、今回復刻塗装されたE2系の主力列車であった「はやて」に主役を奪われ、その車両が200系リバイバルに使用されるのは皮肉なめぐりあわせと言えましょう。
別ブログでご紹介してますが、
仙台で私は喫茶店と美容室の
扉一枚で仕切られた店に入り
コーヒーを入れてくれたママから
シャンプーしてもらったことが
ありました。
母と同世代と思われたママさん
既に鬼籍入りされたと思いますが、
暑い夏の日、癒しのひと時
ありがとうございました。
当時は考えもしなかったのですが、
営業成績が上がらず、さえない顔の
私をリラックスさせるために
声をかけてくれたのかと思います。
東北新幹線の列車名で開業当初から継続して、首都圏へ乗り入れてくるのは「やまびこ」号だけ、グリーンの塗装をまとわなくとも、いつまでも永続することを願っています。
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