四国へのアプローチは、ブルートレインの愛称で親しまれた特急「瀬戸」号東京を19:25に出発して、宇野駅には翌日の6:00着。瀬戸号はB寝台車だけのモノクロス編成で、就寝するには早い時間に東京を出発しますが、食堂車は連結されておらず、何もすることが無いとすれば、少々手持無沙汰な感じとなります。
今日同様車内販売はなく、乗車前に飲食物を用意する必要があります。
現在、高松へは連絡船に乗船することなく、東京22:00発の「サンライズ瀬戸」に乗車すれば、高松へ翌朝の7:27着。、大抵の方は、夕食を済ましてからの乗車であり、軽くアルコールを引っかければ、目が覚めると四国といった感じでしょうか。一方昭和53年は宇野駅に朝6:00着、ここから連絡船に乗り換えるので、男性ならば5:30頃、女性であれば5:00頃から下船の支度が必要でした。瀬戸号の車内で朝食をとることは難しく、多くの方が連絡船の中で、さぬきうどんを啜ったのではないかと思います。昭和世代の私は『はなまるうどん』を見ると宇高連絡船を想起します。(* ´艸`)
画像は各駅のスタンプ、国鉄は当時「一枚のキップから」キャンペーンを展開していました。
昭和53年瀬戸号と今日の
サンライズ号で高松到着時刻は
ほぼ同じ時間帯で運行。
夏の旅行でしたので、
早朝の栗林公園を訪問しました。
その後高松12:01の
急行阿波2号に乗車し
徳島へは13:20に到着。
今日に置き換えてもこの区間は
ほとんど同じ時間帯で、
急行がなく特急「うずしお」号利用で
徳島13:04着、特急格上げで
約20分の時間短縮は
コスパ良好と
いったところでしょうか。
午後徳島城を見学して
前日の夜行疲れもあり
ホテルへチェックイン。
数年前に徳島そごうが閉店し
県庁所在地から百貨店が無くなったと
話題になりましたが、昭和53年当時は
そごうもなく、デパートは
なかったかも知れません。
翌日は、徳島から阿波池田駅に出て
高知駅経由で桂浜に宿泊。
翌々日は、高知駅から
国鉄線で中村駅へ。
現在は土佐くろしお鉄道、
三セクに転じてます。
駅到着後バスで、足摺岬へ(泊)
足摺岬から翌日はバス利用で
半島部を回り宇和島駅へ。
現在三セク宿毛線という
ローカル鉄道が走ってますが、
足摺岬からは、
今日も乗換が不要なので
バス利用でしょうか。
宇和島駅着後、少々時間があり
寄り道しました。
昭和アイドル掲載パンフレットに
惹かれて寄り道したわけではありません。
宇和島は、東北の雄伊達氏が統治。政宗の長男秀宗が開祖であり、幕末期においては、伊達宗城が「四賢候」の一人として活躍するなど歴史的話題が豊富。
更に、当時放映されたNHK大河ドラマの主人公大村益次郎の存在。歴史に明るいわけではありませんが、長州出身で、宇和島藩に見いだされた人です。放映は数年前だったと思いますが、この大河ドラマ花神が放映された影響でしょうか、観光パンフの主役は、長州出身者の大村益次郎でした。
話が、脱線しました
話題を元に戻します。
宇和島~松山は鉄道利用。
当時も今も非電化区間。
ディーゼル列車の旅。
松山駅から路面電車で
道後温泉に宿泊。
最後に帰路の事
今日では、松山から岡山まで
直通特急電車が走り、
岡山では「のぞみ」に接続。
昭和53年は、松山から急行に揺られ
高松まで3時間、連絡船・宇野線経由で
岡山、岡山から「ひかり」号で東京。
何と10時間の所要。
現在は6時間まで短縮。
これでも長い感じですが。
連絡船の旅は楽しかったけど
疲れるし、今日とは
隔世の感があります。
最後までご高覧、ありがとうございました!
昭和53年当時の四国の鉄道を回想できる場所のご紹介です。
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