鉄道パークに展示されている特急列車のヘッドマーク。
一番上の列車名とアルファベットのシンプルなマークの時代は
本四架橋開通前で岡山より宇野経由宇高連絡船を介して高松から特急列車が走っていました。
しおかぜ号は高松~宇和島・松山、南風号は高松~中村・高知であったと記憶しております。
現在四国の鉄道では車内販売が全廃されています。
子供が車内で「お腹すいた、のどがかわいた」と言って
売り子のお姉さんが席を通りかかる際に親におねだりしたのは
過去のものとなりました。
前回新幹線生みの親十河信二さんについて記載しました。今回はその十河信二記念館に併設する鉄道文化館についてお話致します。
この施設の魅力は鉄道車両などハードだけの展示でなく、新幹線決定までのヒストリーや観光交流センターが併設され幅広い方々にお楽しみ頂けるところにあります。
確かに新幹線の車両展示は運転席側の二分の一のみで他施設の展示と比較すると少しさみしいかも知れませんが、事前に十河信二記念館を訪ねると新幹線がどのような背景、想いなどから
計画されどのようにして実現されたのかを知ることができ展示新幹線の運転席に陣取るとそんな想いが回想されてくるのです。開発に携わった方々の夢と希望にあふれたマイヒストリーの一場面を
拝見するだけでイマジネーションしてしまいます。
子供の頃新幹線の運転席の写真を見るとなんとハイテクな最先端の設備と思ってみていたものが
何とも言えない手作り感で温かみのある設備と感じさせるのは歳月のなすものでしょうか?
四国の話なのに新幹線が長くなってしまいました。マツケン編集部員に一番なじみがあるのが
南館に展示されている急行型キハ65車両です。高校1年生のとき父と『四国ワイド周遊券』という
今はなき四国内国鉄乗り放題のきっぷで旅をしました。
このワイド周遊券のメリットは急行の自由席も同様に乗り放題であったこと。高松から高知への移動、松山~宇和島への移動などに急行を利用しお世話になりました。当時の急行では車内販売が
実施され暑い夏アイスクリームを食べたことを思い出します。
最後に観光交流センターについて少々。ここはある意味どこにでもある施設ですが、石鎚山、だんじりの西条祭り、名水うちぬきなど観光資源が豊富なところだけにここを拠点に現地へ足を運んでみたくなります。お土産品も海産物からタオル、菓子、鉄道グッズなど多数あります。
西条市では『ナポリタン』で町おこしをしており、編集部世代にはとても嬉しいところでもあります。
四国鉄道文化館inSAIJO http://s-trp.jp/index.html
西条鉄板ナポリタンhttp://saijo-imadoki.heteml.jp/teppan/
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